ピラティスの歴史

 ジョセフ・ピラティス氏が考案したピラティス・メソッドの歴史をご紹介します。

ピラティス氏の幼少期

1883年にドイツのデュッセルドルフで生まれたジョセフ・ピラティス氏は
幼少より非常に病弱で、くる病、喘息やリウマチ熱等に悩まされていました。
彼は自分自身の身体を強くするために、ボクシングや武術、体操
ボディビルディングやヨガなど多くの運動に取り組みました。
東洋と西洋両方の身体訓練法から学び、特に身体と心を完成させそれを
維持するという、古代ギリシャとローマの哲学に大いに触発されたと言われています。
また、彼の父は優れた体操選手・指導者でもあり、母は自然療法士でした。
このことは、彼が生涯を通じて追及していった運動と健康の分野の研究に
多大な影響を与えたようです。

第一次世界大戦以降~コントロロジーは第一次世界大戦から始まった~

1912年ピラティス氏はイギリスに渡り、1914年第一次世界大戦が始まると
彼はイギリスで捕虜になり収容所に抑留され、マン島に移されました。
拘置生活の中で、ピラティス氏は従軍看護師として負傷兵にリハビリを
行っていました。彼はベッドに寝たきりの患者が寝たままの状態で効果的に
リハビリができる方法を考えます。ベッドからスプリングを取り出して運動用の
器具を作り上げました。これが現在のピラティスマシンの原型と言われています。

ピラティスは安全で効果的なエクササイズと言われる理由にはこ
のような背景
があるのです。

1918年には世界的な規模でインフルエンザが流行。数万人のイギリス人を含む
何百万人もの人々の命が奪われる中、彼の仲間達は一人もこの病に倒れなかったと
言われています。
当時、ピラティス氏は自身が考案したメソッドを「コントロロジー」と名付け
コントロロジーとは「体・心・精神の完全な調和を目指すこと」と定義しました。

 

ドイツからアメリカへ

戦争が終わりドイツへ帰国したピラティス氏は政府から新軍隊の訓練を依頼されます。
しかし、彼は当時のドイツの政治的傾向を好まず、アメリカへ移民することを選びます。
アメリカへの途上、未来の妻、クララと出会います。
1926年アメリカに渡り、自身の考案したエクササイズを広めるためにニューヨークに
スタジオを開きました。同じビル内にはダンス学校やリハーサル・スタジオがあり
徐々にダンサー達を中心にピラティス氏の評判が広まっていきました。
彼のスタジオの顧客はダンサーだけでなく、ニューヨークの上流階級の人々や
映画スター、医者、ビジネスマン、サーカスの団員など多岐にわたりました。

コントロロジーの布教活動時代

1934年ピラティス氏は『Your Health』を出版。
1945年には『Return to Life Through Contrology』
を出版。
この頃、医師たちに向けた実践講習を行ったり、ニューヨーク地域に配備された軍隊を
指導したり、エクササイズのパンフレットを作成したり、オリジナル器具を百貨店で
土曜日に販売したりと自身のメソッドを熱心に宣伝していました。

親友であったノックヒル病院の整形外科局長のヘンリー・ジョーダン医師は

ピラティス・メソッドの熱心な支持者であり、ジョーダン医師は多くの患者を
彼に紹介しました。

彼は、学校教育、軍隊、医療現場などを含む全ての人がこのメソッドに取り組む
べきだと話していました。しかし残念ながら、当時彼のメソッドが社会的に
受け入れられることはありませんでした。 

「私のメソッドは、50年早すぎた」

これはピラティス氏の言葉です。
彼に学歴や医療系の学校で学んだ経歴がないことが大きな弊害となり、
このことに彼はとても傷つき心を痛め続けていたと言います。
ピラティス氏は生涯を通して「コントロロジー」に取り組み続け
1967年86歳でこの世を去りました。

ピラティス氏の死後~現在

ピラティス氏の妻、クララは1970年までスタジオを続け
1976年にこの世を去りました。ピラティス氏の死後、彼から直接指導を受けた
第一世代のマスターティーチャーである「エルダー」と呼ばれる弟子達により
エクササイズが提供され始め、広められていきました。

1990年代になるとコントロロジーは“ピラティス”として様々なメディア等で
取り上げられ、次第にアメリカ各地へそして海外へも広まっていきました。
1996年には“ピラティス”という言葉を商標登録するか否かで集団訴訟がおき
裁判の結果、商標登録はキャンセルとなり“ピラティス”は「普通名詞」となりました。

その後もコントロロジーはピラティスという名前で人々に知られるようになり
たくさんのピラティス・スタジオができ、多くのフィットネスクラブでも採用され
様々なバージョンの器具が作られ、ピラティスのインストラクターを養成するコース
が各地で開催されるようになりました。

世界的に広まっていく過程で、その中にはビジネスとして伝わる中で
形を変えてきたもの、メソッドが簡素化されたものも多くあります。

今(2016年)は、ピラティス・メソッドが生まれてから約100年、
ピラティス氏の没後約50年、日本にピラティスが入ってきてほぼ20年という
時期に
あたります。日本においても各種のピラティス団体ができ、
フィットネスやパーソナル
トレーニングへの利用の他に、ピラティスと医療を融合
する流れも生まれてきています。

時代の変化や科学の発展とともにピラティス・メソッドに対して真の価値が問われる
時代に入ってきたとも言えるでしょう。

素晴らしい科学の発展をピラティス・メソッドに反映し、より良く進化していく
と同時にピラティス氏の哲学やピラティス・メソッドの伝統を守っていくことも
求められています。